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登校拒否

どうも私は、保育園へ通う頃から登園拒否をしていたらしい。それまで母親や父親にべったりだったのと、見知らぬ子供たちや大人しか居ない所へ行くのが恐かったのだろう、と思う。     
     
それでも無事卒園まで行き、小学校も中学年頃までは行けるようになっていた。その頃は男子も女子も関係なく友達を作っていて、学校中を使って追いかけっこをしたり、教室に数人集まって歌を歌って休み時間を過ごしたり、楽しかった記録*1がある。     
     
でも高学年に近付くにつれて、学校へ行くのが嫌になっていた。仮病を使いズル休みをする事もしょっちゅうだった。それでもなんとか卒業式までは登校していた回数の方が多かったが、中学生の一学期になると、休んでいる事の方が多くなってきた。     
     
始めのうちは両親共に協力をして、私を学校へ行かせようとしていたのだけれど、元々共働きで、仕事へ出ると私は仮病を使い学校を早退したり、勝手に休んだりで、二学期からはほぼ全く行かなくなっていた。     
     
困惑や苛々が抑えきらなかった母親に叩かれたり、蹴られたりする事もあった。けれど、私は学校へ行こうとしなかった。その内親も諦めたのか、何も言ってこなくなった。     
     
中学二年の頃、まだ休み続けていた私の家へ、担任と見知らぬ教師がやって来た。不登校者用の教室があるので、そこへ通うのはどうか、と。見知らぬ教師は、その教室を受け持っている人らしい。行って見ると今年出来たばかりなのか、同級生三人しかそこには居なかった。     
     
そこでは、勉強もせずに好きな事を自由にやらせてもらう事が出来た。漫画やテレビゲーム(テレビ自体はあった)を持ち込んでする者も居た。学校への行き帰りも、希望すればその教室の先生が車で送り迎えしてくれると言う、凄い過保護的なものだった。     
     
しかし私は、三年生になってからはその教室へも行かなくなった。何故かは覚えていない。卒業旅行も行かず、卒業式にも出ず、一人校長室で卒業証書を受け取った。先生に紹介してもらった高校へ行っても私の不登校は続き、結局、退学してしまった。     
     
無理矢理社会へ出ようとして始めたバイトでも同じような事があった。始めても休みがちになり行かなくなった(別の事件*2もあったが)。世の中を舐めきっていると言われても反論出来ない。学校、と言う社会に慣れていく為の環境を拒んでしまった為、社会に適応出来ないようになってしまったのだろうか。     
     
怠けていた分これから頑張っていくしかない。     
     
     
*1 ”記憶”や”思い出”として残っている訳ではなく、解離の為ただの情報としてしか残っていないので”記録”と書いておく。           
     
*2 子供人格や自傷人格が出て、職場を無茶苦茶にしてしまった事を”事件”と呼んでいる。
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