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”あの家”

”あの家”が何時からああなってしまったのか、よく覚えていない。私が高校生の頃にはもう、手が付けられない状態になってしまっていたと思う。

私が中学生の頃、母親が猫のブリーダーを始めた。始め、数年はちゃんと世話も出来ていたし、普通だった。けれど、それから何年か後には”あの家”になってしまっていた。

父親が単身赴任で他県へ行き、母親は寂しかったのかもしれない。元々、両親共働きだった為、家事は”溜まったらする”と言う感じで、そう定着してしまっていた。

おかしくなり始めたのは何時頃だろう。

段々、猫の世話も出来なくなっていった。餌や水はちゃんとあげていた。ただ、トイレの始末が疎かになっていった。段々、家は猫の汚物とゴミで溢れていった。二重履きしたスリッパがないと、歩けない、家の中。

私が、東京に居る当時の彼氏の家に転がり込む前は、本当に酷かった。廊下も、部屋も、汚物やゴミだらけで足の踏み場もなかった。当時私が起きて一番最初にする事は、死んだ子猫を庭に埋める事だった。

ある日ふと天井を見てみると、白いはずの壁が、虫で真っ黒になっていた。そのときに初めて、”ああ、もう駄目だ”と思った。思っただけで終わってしまったが。

私が家から逃げて暫くして、妹もアパートを借りて移り、家は母親と猫たちだけになった。その時猫は二十匹以上は居たと思う。

半年程経ち、私が訳あって妹のアパートに越してきてから何度か家の様子を見に行ったのだが、良くなることはなく、悪くなっていく一方だった。

散乱するゴミ、家具と同化した死体。”song”にある、”魚”と言う詩にはそのときの様子が少し書かれている。親が離婚をし、母親が家を出て行く2006年まで、その状態は続いた。

母親は、生き残っていた6匹の猫を新しいアパートへ連れて行き、父親は百何十万も出して、何でも屋やリフォーム屋に頼み、”あの家”は今の”この家”になった。

当時の有様が分からないほど、きれいになったこの家で、私は時々以前を、あの腐臭を、思い出す。

まだ、あの呪いは消えていない。
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