今まで生きてきた中、私を愛してくれた人が居た。けれど私はそれだけでは足らなかった。愛されていると感じない、愛されるとはどう言う事か分からない。実感出来ない。
その人が愛してくれているのに、妙な焦燥感に襲われる。束縛していないと安心が出来ない。安心出来ないけれど、束縛して重く思われるのが嫌で結局束縛出来ない。矛盾だらけで穴だらけ。
その穴を埋めようと、色々な人と寝た。抱かれていれば今だけは愛情を与えてくれる。でもほんの少しの時間だけなら無くても良い、と別の意識が働く。また矛盾。
”愛情=セックス”と考えていた・・・いや、そう思い込もうとしていた。自分がただのはけ口として使われている事実を認めたくなかった。一部では認めてはいたけれど、その虚しさを抑え込もうとしていた。
私の両親は、私が生まれた時まだ、”愛する”と言う事をどう行動にしていいのか分からなかったのだと思う。どちらかと言えば放任主義の両親。子供の頃から私には”愛情”が足りなかったのだと思う。両親を責める訳でも、否定する訳でもない。私は私の両親の元に産まれて、良かったと本当に思う。
けれど、その子供の頃から蓄積されていった”愛情不足”は、成長した私に大きな穴を開けた。
また、愛される、と言う事が分からないと同時に、愛する、と言う事も分からない。”好き”や”好意”は感じる事が出来る。でも、”愛する”と言う状態がどんな風なのか分からない。
分かる分からないではなく、”感じる”ものだとよく人は言うけれど・・・分からない。”愛してる”ってどんな感じ?